ホーム > 門下生・推薦者の声 > 感動編心優しき侍
戻る
次へ

<心優しき侍>

私と佐藤信之君とのおつきあいは、今から30年以上前の中学生時代からです。
以来高校、大学と同じ学校を卒業し、現在に至っています。
佐藤君の人となりについては、三つほどエピソードを御紹介すれば、お分かりいただけるのではないかと思います。

一つ目は高校時代。
私は高校2年生の時、生徒会長になりました。
当時の我が校の生徒会の一番の懸案事項は、「文化祭を土・日曜日に開催すること」でした。
そのことが、生徒会の活性化につながると考え、生徒総会で提案しました。
総会当日は、その是非を巡って侃々諤々と意見が出されましたが、反対する意見も出て、このままでは可決できない雰囲気になりました。
その時、佐藤君が手を挙げました。
彼の発言の子細については、もう記憶が定かではないのですが、
「今の会長(私のこと)を選挙で会長として認めた以上、彼が提案したことについて支持し、うまくいくかどうかみんなで協力してやってみるべきではないか。
やらないうちから否定的なことばかり言うのでは、彼を生徒会長にした意味がないのではないか。」という意味のことを言ってくれました。
彼の発言により、議論の流れが大きく変わり、文化祭の土・日曜日開催が実現したのです。
私は、彼の私に対する信頼と友情に感謝すると同時に、彼のポジティブな考え方に感銘を受けました。

二つ目も高校時代。
私たちが通っていた高校は、当時、県内では有数の進学校でした。
高校3年になると受験まっしぐらという雰囲気でしたが、彼は最後の文化祭で、クラスメイトに呼びかけ、演劇に挑戦したのです。
もちろん担任の先生方は猛反対。彼は職員室に呼び出され、「受験を取るのか、演劇を取るのか」と、詰問されました。
しかし、そんなことにくじける彼ではありません。
先生方に取り囲まれながら、一言、「もちろん、どちらも取ります!!」と啖呵を切り、意気揚々と戻ってきました。
そして、彼は脚本を自分で書き、演出をし、見事にA・クリスティーの「そして誰もいなくなった」を上演したのです。
彼の類い希な才能と、それを実行するバイタリティに脱帽しました。

三つ目は、大学時代。
彼が卒業控えた頃のことです。
彼は大変優秀で、内定をいくつも貰っていました。
そのほとんどが、超有名大手企業だったのですが、彼が最終的に決めたのは、誰でも知っている有名都市銀行でした。
ところが、彼はギリギリになって地元の地方銀行に就職先を変更したのです。
このことだけでも驚きましたが、わたしが本当に驚かされたのは、その理由です。
その理由とは、「両親のため」というものでした。
(他にもあったような気がしますが、この言葉だけが強く印象に残っています)
事実、彼は親思いで、大学在籍中の四年間、新聞配達のアルバイトその他で生活費、学費を稼ぎ、御両親からの援助無しで卒業しています。
彼は口癖のように「親に負担をかけないよう卒業して、これまで育ててもらった分、できるだけ早く恩返ししたい」と、言っていました。

その夢を叶えるべく、東京で起業し、私から見ると十分成功していると思うのですが、やはり心は故郷にあります。
彼は、御両親や家族を一番に思う「心優しき侍」です。
常に自分に厳しく人に優しい彼が、今回、NPO法人を設立し、志をもった多くの人々のために新たな仕事に挑戦しています。

遠く岡山の地から佐藤君を応援しています


岡山県教育委員会  横溝龍一 様

戻る
次へ